lupa
🚚 📦 世界中に配送 ✈️ 🌍

29

3

La Posada del Potro :フラメンコのしみ込んだ街

コメントはありません

Posada del Potro

コルドバにある “corral de vecinos” はその起源が15世紀にまでさかのぼり、セルバンテスが宿泊したこともあるという宿で、建てられて以来、1972年まで使用されてきました。その中庭は伝統的な建築で、そこからサロンや各部屋などに分けられて2つの階から構成されています。建物はその実際の年期を感じさせるほどに人里離れた辺鄙な地に存在し、まるでその時代そのままに隠れているかのようです。

現在はアンダルシアの市役所が建物の重要部分、修復に尽力し、今度はフラメンコにおける重要な建物 ‘Fosforito’ へ換わり付加価値を付けています。

地上階はフラメンコの実際のパフォーマンス用に5つのサロンがあり、正確にはその内の一つは著名なカンタオール Puente Genil Antonio Fernández ‘Fosforito’ スタイルにつくられています。そこではこれらのアーティストのファンは彼らの私物、アルバムジャケット、レコーディングなどを見ることができます。

 

このフラメンコの新しい施設が完成するまでまだ多少の作業が残っています。しかし4年間の閉鎖、準備を経た後にはフラメンコの神髄を享受できる新たな時代をむかえる中心の場所として多くの期待が寄せられています。
実際にすでにフラメンコの活動が始められ、また2004年と2007年の国立フラメンコアートコンクールでの José Nievas と María Moya のレベルの高いパフォーマンスのフォトを見ることができます。

 

La Posada del Potro

La Plaza del Potro は近年、外観のデザインが変えられて、後脚で勇ましく立ち上がる若馬の像が目立つ場所に置かれ、かつての宿と同じ名前で位置しています。
14世紀~15世紀の伝統的な建築物として、街の中でもシンボル的な場所の一つとして扱われています。

『Don Quijote』の作者セルバンテスが引き合いに出される程にその特徴、意義は増大して重要な文学メーンサイト“la Posada”となり、1917年に建てられた Museo de Julio Romero de Torres にもそれに関する記述をもったプレートが見られます。

歴史的にみてまた別の時代には、このプラザは良くも悪くも重要な場所でした。残酷王と呼ばれた Pedro 1世 は宿の主人から自身の衛兵を用いて略奪しました。

 

コメントする